不動産市場と動向:世帯数の減少=住宅余りは短絡的(14.06.08)

明日は新聞の休刊日ということで、明日のTV欄に加え、明日発売予定の週刊誌広告が新聞に掲載されていた。個人的にはW杯の試合予定(放送予定)を食い入ってみた。

月曜日発売の週刊誌といえば、カラフルな写真系表紙の週刊現代と週刊ポストが代表的で、そのどちらかの見出しで「人口減少に伴う将来の衰退ぶり」がダイナミックな言葉で躍動している。

超高齢化社会とは、高齢者と現役世代や子供の数とのバランスが悪いことだが、問題なのは高齢者の増加ではなく、現役世代と子供の数の減少である。

先日、どこかの経済誌に、昔は酒やタバコを国が率先して推奨し、ある程度の年齢となったら死亡させて高齢化に歯止めをかけていた、かつ、酒もタバコも税収にもなり一石二鳥、なんてブラックジョークが掲載されていた。

健康と医療の番組がTV番組で席巻し、健康への意識が高まることにより、平均寿命が年々伸びて80歳が健康で活動的でも違和感ない時代になった。

健康番組と並び旅番組も増加し、中高年をターゲットとしたTV東京の視聴率が躍進するように、高齢者は日本経済と社会の中心であるが内容は変化し、それは不動産・住宅事情も同様である。

人口減少、世帯数減少という大きな面からは、住宅余りが象徴的である。毎年一つの100万人都市が消滅するペースで、新築の供給は留まらないのだから、必然的に統計上は住宅が余る。

新築住宅の供給の中には、いわゆる介護福祉系の住宅のほか、健康な高齢者向けの専用マンションが含まれているので、新築そのものを否定するものではないが、一般的な住宅は確実に余る。否定しても、業界の構造的に住宅の供給は止まらないが。

また、不安定な雇用(収入)、不安な老後、持つことによるリスク(災害)、価値観の変化(所有欲の減退)などにより、なにがなんでも持ち家という時代でもなく、特に購入者層は減少する。

このような大きな流れのなかで、一般的な住宅を取り巻く環境はどのようになるのだろうか。

楽観的、期待が含まれているのを承知の上で、所有する人は、一人で複数の不動産を所有するケースが増加するのではないか。

高額な不動産だからイメージしづらいかもしれないが、昔は、TVだって何軒かに1台、一家に一台、一家に複数台、クルマだって持っていなくても普通が、一家に一台、一人に一台、一人で複数台という時代となった。

不動産も、通勤用(職場近く)と休日用(郊外、地方)、夏用(北)と冬用(南)、日常用と長期休暇用などなど、生活や用途に合わせて使い分ける。

これが実現する前提として、TVのように価格の低下、クルマのように長く壊れない、などの条件が必要となる。

仮に、価格の低下により、必須のレベルが2000万円となれば、今まで4000万円の予算が半分あまり、もう一軒を購入する資金的な余裕ができる。住宅が余る(供給過多)であれば価格の低下に繋がるのだから、不自然ではない。

所有することにも費用は必要で、あちこち壊れやすかったり(修繕費負担増加)、すぐにダメになってしまう(資産価値の磨耗も負担に繋がる)のでは、広く普及しない。

AKBの総選挙では、政治とは違うのだから一人一票ではなく、15万票の得票が15万人の支持者とはならない。例えが乱暴だったが、人口・世帯数と住宅の単純比較で住宅余り、ではなく、その状況に合わせた住宅事情に変化していく。

世帯の細分化、価格の低下、人口構成、利用用途などから考えた場合、広い・新しいけど高い住宅よりも、コンパクトでお手ごろな住宅の方が需要が増える。時代が求める住宅を変えたのかもしれない。



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